パラオの老人達の証言と天皇皇后両陛下のパラオご訪問「日本軍と一緒に戦いたかった」「日本人になりたかった」

 

「日本軍と一緒に戦いたかった」「日本人になりたかった」(テキスト)

<君が代は 千代に八千代に さざれ石の~・・・>

明快な日本語で「君が代」を歌い上げた94歳になる老女は、続けて「海行かば」を口ずさみ始めた。

<海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね) 山行けば草生(くさむ)す屍~>

歌詞の意味は理解しているという。ロース・テロイさん。
「テルコ」という日本人名も持ち、「日本人になれるものならなりたかった」と言った。

「緑の島のお墓」を作詞したアントニア・ウエンティさん(85)は「蛍の光」と「仰げば尊し」を歌って涙を浮かべ、童謡の「浦島太郎」を歌って、

「この歌は、『両親がしてはいけないということはやってはいけない。罰が当たるよ』という意味を含んでいると言った。

テロイさんのいとこにイナボ・イナボさん(故人)という男性がいた。
元パラオ共和国政府顧問で、生前は「日本軍と一緒に戦いたかった」と何度も口にしていたという。

イナボさんは平成7年8月15日、靖国神社での戦没者追悼中央国民集会に参加した際、雑誌のインタビューにこう話している。

「日本には大切なものが4つあります。天皇陛下と靖国神社と富士山と桜の花です。アメリカ人から『日本は小さな国だけどもルーツ根っこがあるから強い。それは天皇陛下と富士山と桜だ。それはアメリカにはない」と聞きました。

日本人の戦いぶりはアジアの人々は皆知っているんですよね。それで日本を尊敬しているわけです。皇室と神社がある限り日本は倒れない。

日本人が安心していられるのは、天皇陛下がおられるからですよ。天皇陛下がおられて、靖国神社があるからこそ日本は尊く、外国からも尊敬され、強い国となっています。」

ペリリュー島は「忘れられた島」とも呼ばれてきた。
多大な損害を受けた米軍が口をつぐみ、日本側も生還者が少なく、証言に限りがあったからだ。だが、島民達は、70年前に起きたことを忘れてはいなかった。

以降、動画参照。

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