パラオでは日本語が普通に使われている
パラオ人はとても親日家です。パラオに旅行に来ると、英語のできない人でも日常会話程度の易しい日本語でしゃべると通じているように感じるかもしれません。
1914年から1945年までは日本がパラオを統治していて、その間はパラオ人の学校教育も日本人の教師が日本語で行っていました。そのため、その頃教育を受けていた、現在70歳以上のパラオのお年よりはみな日本人のように日本語がしゃべれます。もちろん日本人が統治する以前からパラオ語という言葉があり、パラオ人同士はみなパラオ語で会話します。今もそうです。しかし日本の敗戦後アメリカの統治下となったパラオの学校教育は英語となり授業は今は英語で行われています。そのため現在の公用語はパラオ語と英語です。
昔の名残りで、日本語は今やパラオに浸透しており、パラオ語になってしまった日本語がたくさんあります。
少し例をあげてみましょう。 (左がパラオ語、右がその意味)
- スコウジョウ
- 飛行場
- チチバンド
- ブラジャー
- バショ
- 場所
- エモンカケ
- ハンガー
- シューカン
- 習慣
- アメ
- 雨
- ヤサスィー
- 優しい
- ツカレテ
- 疲れた
- オイスィー
- 美味しい
- サビスィー
- 寂しい
- サムイネ
- 寒いね
- アチュイネ
- 暑いね
- マタアシタ
- また明日
日本名がよく使われている
パラオ人には、「サブロウ」「アイタロウ」「ダイジロウ」「マツタロウ」「トヨミ」「トキエ」「センキチ」「ヒロシ」など、日本人からみると少し昔と感じる名前も、今でも名づけられています。
少し面白いのが、「イチロウ」が苗字だったり、「カトウサン」「イチカワサン」など、「サン」まで名前に付けていることもあるようです。
パラオ人の証言
実際に戦時中のことを知るパラオ人の方が日本語で話している動画です。